ご覧いただきありがとうございます
ここは私(みどペン)が、
「育て辛っ!」と思う息子たちや、
「クセ強っ!」と思う夫と、
なんとか明るく楽しく穏やかに過ごすことを目指して
あれこれやってみたり、やらなかったりする様子を、
書いてみたり、書かなかったりするブログです。
お時間とお気持ちの許す限りお楽しみください。
忘れてた話
うちの長男、発達障害です。
余計な説明を省くためにこう書いてますが…私個人的には診断名とかあまり重要とは思ってません。
認めてないとかそういうわけじゃなくて、長男ももう高校生なので、ここまでくると「そういう自分とどう付き合っていく?」の所に重点が移ってきてるので、今更診断名とかは…本人も「ネタ」みたいな扱いです。
や、ホント、そんなの「どうでもいいわ」と思うくらい日常生活が…いろいろめんどくさかったりするから~。
薬飲んで、気合いで治る病気だったらどんなに楽だったろう…
って、こんな私でも(?)思うこともあるのです。あったのです?
(長男を理解するためのキーワードとしては大変ありがたかったですが。)
今回書きたいのはそういうことじゃなくて、
長男、昔っから…いろいろと驚かせてくれる子だったなぁ…
と、そういう話。
「うちの子無邪気でしょ」と言いたいわけでもないし、
個人的には「スゲー面白い」と思うこともあるんだけど、
私は…それが完全に「このくらい問題ないよね~」で済ませられる感覚の持ち主ではなかった。
世間的には「これが空気読めない」なんだろなーと思った事例の記録…みたいな?
時は…10年ほど前にさかのぼり、
長男が幼稚園を卒業する頃。
この間当時のブログをつい読み返してしまって、改めて、長男、「こういうヤツだったな」と^^;
(どうでもいいけど、この頃の私も相当不安定だったわー。転勤と入学がダブルでやってこようとしていた春。次男も絶賛乳飲み子だったし...)
以下、過去ブログより。(太字は今の私の心の声)
卒園式は無事に終わりました。
あ、いや、正確には最後の最後に長男がまたやらかしてくれたりはしたけど^^;
それも含めて「無事に」ってことにしときます^^;
させてー!ねぇ?いいでしょ?^^;
最後の帰りの会の時、先生が
「いつも「また明日までごきげんよう」と歌っているお別れの歌を「また会う日までごきげんよう」に変えて歌いましょう」
と。
子どもたちも周りの親も涙しながらの最後の盛り上がりシーン。
いざ!
と先生がピアノに振り向くか振り向かないかのタイミングで、
「水飲みたい!」
と一言残して教室を出て行ったわが子!
あー、私はこの日のことを一生忘れないかも^^;
(↑しっかり忘れてたから大丈夫w今思い出したけど^^;)
私の目の前にいたんです。
止める言葉をかける間もなく、保護者でごった返してる教室とか廊下とかをものすごい速さで...すり抜けていったなァ…
なかなかあの「ガクっ」って感じはリアルに味わえないと思う…
先生は「最後だから待ちましょう」って言ってくださって、みなさんも待ってくださいました。
もー、皆さま、ほんと、ありがとうございます。
この時の先生の落ち着きっぷり!ものすごくありがたかったです。
3年間、この幼稚園で、私の知らないところでも先生と長男の関係がイイ感じに出来上がってたんだな~、と。
他の保護者のみなさんも「またまた、長男くん~、最後までやらかしてくれるねぇ~」みたいな空気で。
今思うと、ホントにありがたい。
で、意外と?早く長男も戻ってきてくれたことだけが幸いだったけど、仕切り直し。
(なんだろう?最後の歌を喉が潤った万全の態勢で歌いたかったってこと…なの???)
私個人としてはもう感動の涙って感じじゃなくなったけど^^;
皆様のやさしさに包まれながらの3年間でした。
私、最近…というか、数年前長男がメンタルダウンした時は、発育に関して学校とか病院で説明するときに
「幼稚園の時はなんだかんだでフツーに過ごしてたんですけど...」
って言ってました^^;
これ読んでたら、そんなにフツーでもなかったかも^^;
それを私が「なんだかんだでフツー」と記憶してたのは、やはり周囲の人の「理解」の部分が大きかったのかも、と。
完璧じゃなくても、無理のない範囲で理解してもらえたら…うれしいんだけどなーと思うことは…ある。
けど、「他人の理解ありき」じゃ…それもまた…自分がもにゃもにゃするし…
自分でも理解しきれないのに他人に理解の強要とか…ムリムリムリムリムリムリ^^;
そもそも期待したって世の中そんなに甘くないしなぁ!!!
うちの場合は転勤があったから、こうして水のあった土地にも強制的に別れを告げざるをえなかったりもして...
ああ、切ない。
ちなみに、この幼稚園も、入園当初は結構「それはやめて~」な対応をされたこともありました^^;
入園前には〇〇(診断名)疑いを既にもっていたので、そのことを事前に園に伝えていたら、教室の前に「長男くん〇〇(診断名)」みたいなメモを貼られてて…
「いや、アレルギーとは違うんで...他の保護者の方の目につくところに掲示されるのはちょっと…」
と、いきなりクレーム親みたいになったりしてたなぁ…
(や、しかし、クラスにカミングアウトするかしないかって…当時は重要ポイントだと思ってたけど?今はもう少しざっくばらん???)
すぐ外してくれたし、その後は...そんなに…特別な加配とかもなく…
日常的に上に記したような「空気読めなさ」はあったのかもしれないけど^^;
日々過ごす中でそれらもうまいこと日常にとりこまれていって…
ああ、そういう世界も存在したんだなぁ...
あ、別に、今の長男の環境も...結果的には無理なく割と平和に過ごせてて、収まるとこに収まってる感がだんだん出てきてるんだけどね。
重要度の高い用事がある日はちゃんと早起きしたりして。
なんとかやってます。
10年前の話が完全に「あんな頃もあったね」で済んでないってのが…辛いとこではあるけれども…
本質的には…ホントに変わんないんだなぁ…
↑これ、時が経つにつれて忘れがちだけど、きっと3年に1度くらい、少なくとも親である私は強く肝に銘じるべき重要事項だと思ってる。
大きく崩れる時って、なんとなく自分も気が緩んじゃって、「もう大丈夫なんじゃない?」なんて思うと…たいてい痛い目見るんだわ~、これが^^;
だいたい長男は、0歳、2歳、小1、小4、中1、高1…で大変だったりした…って立ち直るのに1,2年かかってると思えば…ほら、「ずっと大変」という体感になるのですよ^^;
とはいえ毎日は無理だから、日々は「自然に湧いてくる私自身のフツーの親の愛」で接して、時々「本人の特性を含めた愛し方」を思いだす…みたいな?
子供だって毎日「愛し方を頭で考えた親」に愛されるの…嫌だろう。
(↑と、自分に都合の良いように勝手に解釈してる節があるけど)
長男に関してはもうそれくらいで…勘弁してもらいたいってのが正直な気持ち^^;
(↑ほらほら、また気を抜いているぞ~。危険だぞ~。)
そりゃ毎日悩んだ日もあったけども。
それが親子して成長して...自分たちの最適解を大きく外さなければ…そこそこやってけそうじゃない?(世間的には知らんけど。)
の境地にまでは達したと…自負してみるテスト(?)
私が「発達障害」という言葉にガチ目に出会って15年くらい経ってますが…世の中の「こういう子」周り…生きやすくなったかな?
昔より結構見聞きするし、気軽になった部分もあるように感じるけど…
「僕は〇〇(診断名)なの」「ああそうなの?ふーん。」
で…お互いの理解が止まってしまうのは…寂しいような…
ああ、でも、もしかして
「僕は〇〇(診断名)なの」「ああそうなの?ふーん。」
が...真に「フツー」の社会に近づいている過程かもしれないしねぇ…
難しいことはあまり考えてもしょうがないので…^^;
とりあえず私は目の前の自分の子供たちが世の中に絶望しないようになんやかんや気を揉んだり揉まなかったりするしかない…かぁ...
自分のキャパ的にも。
さーて、目の前、集団での活動を全力で拒否する次男に、せめて個別でもいいから社会とのつながりを、なんとか。
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