ご覧いただきありがとうございます
ここは私(みどペン)が、
「育て辛っ!」と思う息子たちや、
「クセ強っ!」と思う夫と、
なんとか明るく楽しく穏やかに過ごすことを目指して
あれこれやってみたり、やらなかったりする様子を、
書いてみたり、書かなかったりするブログです。
お時間とお気持ちの許す限りお楽しみください。
やりのこしてたこと。
2023年2月バタバタの記録①
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2023年2月バタバタの記録②
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↑なんやかんやあって、ホントにたどり着いただけで達成感しかありませんでしたが…
※「人の死」について書いています。苦手な方はスルーしてくださいね。
棺の中のばーちゃんの顔を見た時は…ホッとした…というか、なんだろう?想像してたより落ち着いて対面できました。
実は、それより数日前に「そろそろかも…」ということで、LINEで対面していたのです。
「耳は聞こえてるから声かけてあげて」って母に言われて、
「〇〇(←私の自称ね。呼称?)だよ~」
って言った時、ばーちゃんの目が一瞬開いたんだよ!
ずっと対面できなかったから…最後にLINEででもやり取りできてうれしかった。
ああ、でも、棺の中のばーちゃんは…声をかけても動かない。
「死」ってなぁ…
こうやって一人一人やってくるのか…みたいな。
ばーちゃんは先にじーちゃんに先立たれていたので、「やっとじーちゃんのとこに行けるね」って一面もアリ。
(仲良し夫婦だったのです。)
死因は「老衰」ってことで、そこまで最期は苦しそうでもなかったみたい。
ただ、例のウイルスで体力を消耗したことは影響してたかもだけど…
一応こうしてみんなが集まれる時期まで頑張っててくれたのかなぁ…と。
立派なばーちゃんでした。
「家族葬」ってことにしたみたいだったけど…そこはド田舎情報網で…思ってた家族葬より結構弔問に来てくださる方も多く…
さすが、「我が家の外務大臣」の異名を持っていたばーちゃんだなぁーと。
実家の両親以外の親族は私の弟も含めみんな関東地方から駆け付けた感じ。
あとは…「久々だね!」からの…お通夜のワイワイした感じ…
…になるんだろうなと思ってたけど^^;
長男の体力が限界につき我が家は実家の自宅警備に戻る感じで一旦斎場を離脱^^;
無理は禁物。
この辺で私個人としてはばーちゃん偲びトークに参加できなかったのが心残りになっちゃってるんだろうけど^^;
ま、いいや。
偲び方それぞれ。
というわけで、勝手にここで偲びます!
・何十年も前に親戚で集まったときに「ジャニーズ事務所」って言えないで何回も「ジャニズー事務所」って言ってみんなで大笑いしたこと。
・舌の先が鼻の下につくこと。
・親におこられてた私や弟をこっそり助けてくれてたこと。
・手作りようかんが激うまだったこと。
・つきたての激熱もちをものすごい速さでちぎり分けていたこと。
・イノシシと畑で一人で対峙して無事だったこと。
・じーちゃんが無くなった時斎場で飾ってた特大サイズの遺影をもらってきて自宅リビングにしばらくデカデカと飾って来訪客を驚かせていたこと。
・飼ってる牛に優しくブラシをかけてあげてたこと。(出荷前とか^^;)
・ぽんかんの切り取り方、整え方が神ってたこと。
・「一輪車」(「ねこ車」っていうのかな?)に私を乗せてくれてたこと。
ああ、なんだろう…小さい時に農作業(他)の手伝いをしていた頃がどんどん思い出されてきました^^;
・(多分)麦畑で食べたアルミ缶弁当。(白米と味噌!蓋の方にお湯入れて味噌とかして飲んだりw)
・菜種の種を落とすために網の上でトランポリンみたいにジャンプしまくったこと(←全農作業手伝いの中でNo.1に楽しかった)
・田植えは…なかなか手植えを任せてはもらえなかった。(植え方が浅いらしい)
・稲刈り~脱穀は…チクチクして嫌いな手伝いだった^^;
・ポンカンの箱作りは楽しかったな。
・かぼちゃは…重かった。
・インゲン豆は…パック詰めがちょっと楽しかった。
・麦踏みの罪悪感w
・タケノコ取りは…エンタメだったなぁ。
・「つわ」の皮をみんなでワイワイ言いながら剥いてたよね…
・よもぎもたくさんとって濃いぃ緑のよもぎ餅にしたし。
・みその仕込みでは...大豆?麦?麹?…なんか…塊をボロボロこわしたりなんだり…手が塩だらけになってた記憶。
・梅干しは…しその仕込みで毎回ばーちゃんの手が真っ赤に染まってた~
・↑天日干ししてる途中の梅がうまかったんだよね。
・↑そのまえに梅の収穫…大人が楽しそうだった。(←ばーちゃんたちが棒でなってる梅をバンバン落とすの。私は拾う係。何気に当たって痛かったけど^^;)
・あくまきも作ったよね。
・甘酒も忘れちゃいけない。うちのかーちゃんは相伝してもらったろうか?
……
……
……
私の思い出すばーちゃんは…私が幼稚園に行く頃から小学校低学年の…こうして元気に農作業やいろんなものをこしらえてる頃のが多いな^^;
ちなみに、うちの両親は農業を継ぐことをしなかったので、上記農作業は私の親も「手伝い」という感じでやってます。
幼子だった私は…そりゃ強制連行ってわけで…^^;
母親が今で言う在宅ワークという名の内職だったので…保育園に入れてもらえなかったんだよな~。
なんか、ホントに色々思い出すねぇ。
どのシーンにもばーちゃんも(じーちゃんも、かーちゃんも)いてね…
決して裕福ではなかったと思うんだけど、そんなに不自由を感じることもなく…平和に超正統派「田舎暮らし」してました~。
晩年…施設に入所してからのばーちゃんの日常はどうだったか正直わからない。
そこはうちの母がちゃんと最期まで役目を果たして付き合ってたと思う。
ばーちゃん…
狙ってみんなを笑わせる…って感じじゃなかったけど、天然ボケ的にヒットする笑いが絶えなかったよなーって。
それでいてやたらと記憶力が良かったりね。
じーちゃんの戦争体験を自分が体験したことのように語っちゃったりして...なんか、それも大笑いしたことあったなぁ…
訪ねてきてくれる人たちには優しく、惜しみなく手料理とかふるまって…
気難しいということもなく、自己主張が激しいわけでもなく…
あんまり愚痴とか言ってなかったな~(私が孫だから聞かされてなかっただけかもだけど。)
オシャレすると妙に貫禄が出る…というか、「上品なばーちゃん」になるのも孫的には誇らしかったりね。
生い立ちや時代的に考えると…結構ハードモードだったはずだけど…
少なくとも孫にそんな辛さや弱みを見せるような人ではなかったなぁ…
3人娘を育て上げて、立派な人生を過ごしてスマートに旅立っていったよなぁ…
すごいなぁ…
おお!
やっとばーちゃんを偲べた気がする。
「ばーちゃんのようかん」を再現したいなぁ...
(↑記憶が食べ物と連動するタイプ^^;)
お式の様子をメモっておくと…
状況的には悲しみだけのお葬式にはなりえなかったんだけど…
斎場の人の語りと音楽の演出が全力で泣かせにきてて…
「今日が終わるまでは泣かないから!」って言ってたはずの母も…他の姉妹も、私も…泣きましたね…
小田和正の「たしかなこと」のインストに合わせて、「〇〇様(←じーちゃんの名)のところへ旅立っていかれます…」みたいな。
これは…泣く。
…と思っていたら、後ろの方から
「〇〇ちゃんのとこに行くって言ってもまだ49日かかったっどが?(かかるんだよね?)」
という親戚のおばちゃんの冷静なツッコミが聞こえてきてたw(↑悪気はない。)
いや、そうかもしれないけど~!
…そういうおばちゃんも…相変わらずのキャラブレのない感じが…それはそれでふるさと感があってねぇ…
ばーちゃんの存在がつないだ縁。
いいお式だったと思います。
喪主はうちのかーちゃんだったんだけども…
ホッとしたろう。
気が抜け過ぎなきゃいいけど。
それをフォローするのは…私たちの役目よね。
うん。
このシリーズは…あと1記事書くかな?
短い中にもちょっとだけ感じた「鹿児島」の記録。
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